キリスト教教義の抗争の紹介

宗教

キリストの復活

聖書にはキリストの復活の話が記述されています(マルコによる福音書 第16章)。その大要は次のとおりです。

イエスは声高く叫んで息を引き取り、百卒長により死亡が確認された後、ヨセフが亜麻布に包んで墓に納めました。安息日が終わると、マグダラのマリアらが墓を訪ねましたが、墓の石は転がされ、白い衣を着た若者が「イエスはよみがえった」と告げました。

その後、イエスはまずマグダラのマリアに、次に地方を歩く二人の弟子に、さらに十一弟子の前に姿を現し、彼らの不信仰を責められました。そして語り終えられた後、天にあげられ神の右にすわられました。弟子たちは至る所で福音を宣べ伝えました。

ロ―マ帝国とキリスト教

 ローマ帝国は当初キリスト教を禁圧していましたが、コンスタンティヌス1世が311年にキリスト教寛容令を出し合法化しました。その後テオドシウス1世が392年にキリスト教を国教に昇格させました。

ローマ帝国は395年に西ローマ帝国と東ローマ帝国の2つに分立し、西ローマ帝国は476年に滅亡しました。東ローマ帝国はその後1453年、コンスタンチノープルがオスマントルコに陥落するまで続きました。

キリスト教の教義の核心

 キリストが復活し、弟子に教えを伝えた後、天にあげられ神の右にすわられたという聖書記述の解釈が大きな争点となりました。

代表的な教義には以下があります。

  • アタナシウス派:神とイエスと聖霊の三者は別の位格(ペルソナ)を持つが、実体は一体である。
  • アリウス派:キリストは神に作られた被造物であり、父なる神と同一体ではない。
  • ネストリウス派:キリストの神性と人性は明確に区別できる二つの位格に分離しうる。
  • 単性説:キリストの神性と人性が融合し単一の性になったとする説。

現在のカトリック教義はアタナシウス派の立場を基盤とし、アリウス派、ネストリウス派、単性説を排除したものであり、いわゆる三位一体説です。

※アリウス アレクサンドリアの司祭、250生~336年死亡
※アタナシオス アレクサンドリアの司祭、373年死亡
※位格(ペルソナ) キリスト教で、知恵と意志とを備えた独立した主体(広辞苑)
※化肉(インカルティオ) キリスト教における「受肉」を指す言葉で、神の子が人間を救うために人の肉体をもって現れたこと(スマートホンの検索結果による)

ラッセルによる異端排除の経過紹介

バートランド・ラッセル著 「西洋哲学史」市井三郎訳 みすず書房)によって、アタナシウス派、アリウス派、ネストリウス派、単性説の排除過程を紹介します。

(1)アリウス派の排除 

コンスタンティヌス1世からカルケドン会議に至る時代は、神学が政治的重要性を持つ特異な時代でした。三位一体の本性と化肉(インカルティオ)が大きな問題となりました。

アリウスは「子なるキリストは父なる神と対等ではなく、神によって創られた者」と主張しましたが、4世紀の神学者たちの大部分はこれを排斥し、「父と子は対等で同じ実体だが、位格は区別される」立場が採択されました。

アリウスの教説は325年のニカイア会議で圧倒的大多数により断罪されました。

(2)ネストリウス派の排除

キリルス(アレクサンドリア総大司教)とネストリウス(コンスタンチノープル総大司教)が中心となり、キリストの神性と人間性の関係が論争になりました。

ネストリウスは「神性の位格と人性の位格の二つがある」と主張しましたが、431年のエフェソス公会議では、西方司教らが先に会議を進めキリルスの説を正当とし、ネストリウスは異端として断罪されました。

しかしネストリウス派はシリア・東洋に広まり、後に中国で大きく栄えました。

※ネストリウス  381年生~451年死亡

(3)単性説の排除

 449年のエフェソス会議では単性説が優勢となりましたが、451年に法王レオ1世が招集したカルケドン公会議により単性説は断罪されました。

単性説は屈服を拒み、エジプトではほとんどの人々がこの異端を採用し、さらにエチオピアへも広がりました。

どの教義が正しいか? 私たちが取るべき考え方な何か?

 アタナシウス派、アリウス派、ネストリウス派、単性説のどれが正しいかは決め手がありません。宗教・民族・人種の違いはしばしば激しい争いを生み、宗派間の対立が戦争を引き起こした例もあります。

この点で参考となるのが、ラッセルの以下の言葉です(『西洋哲学史』下巻312頁)。

さまざまに対立する狂信的態度の渦中にあって、統一をもたらそうとする数少ない勢力の1つは、真理に対する科学的な忠実性である。わたしの意味するものは、我々の信念を、人間にとって可能な限り非個人的で、また地方的、気質的な偏見を可能な限り取り去った観察や推論というものに基礎づける、という習慣なのである。このような美徳を哲学に導入する方法をあくまで主張し、また哲学を実りあるものとし得る強力な方法を創案したことは、私がその1員である哲学学派(=分析の哲学)の主要な功績である。そのような哲学的方法を実践するに当たって獲得された綿密な誠実性というものは、人間活動の全領域に拡張し得るものであった、それが存在するところでは常に狂信的態度は減殺され、同情と相互理解の能力増進をもたらすことができる。その独断的な数々の自負を一部分放棄するとしても、哲学はある生き方を示唆し又は鼓舞することをやめないのである。

※分析哲学 論理実証主義に対する批判から、特に第2次大戦後に英米で発展した言語表現の分析を主要な方法とする様々な哲学の総称(広辞苑)

名古屋弁護士 伊神喜弘

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