主の祝福と小欲・知足

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-イスラエルのガザへの戦闘行為の原因-

 現在、イスラエルとパレスティナで戦争が起こっています。主な戦場はパレスティナのガザ地区です。この戦争についてはっきりしていることは、イスラエルのガザ地区での戦闘行為の残虐性です。イスラエル当局はその戦闘行為の正当性をハマスのテロ行為の排除と言っています。しかし、死亡者の数の比較からみても、イスラエルの戦闘行為を擁護することは困難です。

 イスラエルがなぜこうした行為をするのかについて、その根本原因を私なりに考えました

 旧約聖書 創世記 第12章には以下の記述があります。

 時に主はアブラハムに言われた。「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。

 あなたを祝福する者を私は祝福し、あなたをのろうものを私はのろう。

地の全てのやからはあなたによって祝福される。」

 アブラハムは主に言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラハムはハランを出たとき、75歳であった。

 この旧約聖書の言葉のうち問題となる言葉は、「私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。」という祝福の言葉です。これは、主がある特定の人間集団を祝福するものですが、ここに問題があります。第1に旧約聖書はキリスト教やイスラム教という世界宗教の聖典とも位置づけられています。しかし、この祝福の言葉はアブラハムとその子孫という特定の人間集団を祝福している点です。第2に人間というものは生きて行くためには、土地とか財産が必要となります。したがって「私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。」との祝福には、祝福される特定の人間集団に対する土地とか財産を与えるということも当然に含意しているはずです。そうであるのに、この点に触れていない点です。

 この地球上には、多くの人々が住んでいますので、主が特定の人間集団を祝福し土地とか財産を保障するとしても、それ以外の人々と土地や財産を巡っての衝突が必然で、その調整をどうしていくのか、予め配慮すべきであるのに、何も触れていません。この点、主のアブラハムに対する祝福には特定の人間集団に歯止めのない「祝福」を与えたと誤解させる点(思い違いをする人間が出てくる。)に大きな欠陥があります。

 突き詰めると、人間が生きて行くためには他者との利害の調整をどうしていくのかに尽きます。

 その利害の調整の胆は、小欲と知足です。小欲・知足を利害調整の中核にすれば、争いごと、強い者勝ということがなくなります。なぜならば、「主」が祝福する対象外の人間も多数存在しているので、その人達も平穏に生きていくことが必要だからです。旧約聖書の祝福は祝福の対象外の人々の平穏な生活の維持を当然前提としているはずです。

 小欲と知足については道元禅師の正法眼蔵の「八大人覚」でその重要さを説いています〔水野弥穂子校注 正法眼蔵(4) 岩波文庫 405頁~414頁)。

(小欲について)

「多欲の人は多く利を求むるが故に、苦悩もまた多し。」「小欲の人は則ち、諂曲して以て人の意を求むることなし。」「小欲を行ずる者は、心則ち坦然として憂畏するところなし。事に触れて余りあり。常に足らざることなし。」と言っています。

(知足について)

「・・・諸々の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足の法は則ち是れ富楽安穏の処なり。」「知足の人は地上に臥すといえども、なお安楽なりとす。不知足の者は天堂に処すといえども、また意にかなわず。」と説明しています。

 小欲、知足という眼で見ると、イスラエルには深刻に反省すべき点があります。1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)との間でオスロ合意が成立しました。その内容は①イスラエルを国家としてPLOをパレスチナの自治政府として相互に承認する、②イスラエルが占領した地域から撤退し、自治政府による自治を認める、③5年の間に今後の詳細を協議する、というものでした。ところが、イスラエルの中の宗教的強硬派の一部が、パレスチナはもともと神(=主)によりユダヤ民族に約束された土地との考えに基づき、ヨルダン川西岸に強制入植を続けました。この強制入植はオスロ合意に実質的に違反する行為です。

 小欲でも知足でもありません。強い者勝の論理で行動しているとしか思えません(アメリカやイギリスというアングロサクソンが味方についているのでこのまま押し切れるとも思違いをしているのでしょうか。残念です。)。 パレスチナにもともと住んでいる人々が納得できるものではありません。

 イスラエルはハマスを攻撃するとの理由で、ガザ地区にハマス以外以外の人々を巻き込むことが明らかであることが十分認識できるのに、「無差別」と非難されても仕方のない戦闘行為を継続しています。この戦闘行為も、小欲・知足とは程遠いものです。イスラエルの言い分はハマスが民衆に紛れて区別がつかないので仕方がないというものかも知れませんが、このような結果をもたらしたのは、小欲・知足から外れた行動を何年にもわたって繰り返してきたのが原因であり、無差別攻撃が正当化されるものではありません。知足の観点から言うと、自らの居住地区(オスロ合意でイスラエルか国家と認められた区域)を堅固に消極的に防衛し何人にも攻撃させないようにすればいいはずです。

 ところで、道元禅師の正法眼蔵の「八大人覚」は、小欲・知足に続いて、「勤精進」を説いています。小欲、知足と勤精進とは一見して矛盾しますね。

(勤精進について)

「諸の善法に於て、勤修無間(ごんしゅむげん)、故に精進と云う。精にして雑らず、進んで退かず。」「・・・若し勤め、精進すれば。則ち事として難き者なし。是の故に汝等まさに勤め精進すべし。たとえば小水も常に流るれば、則ち能く石を穿つが如し。若し行者の心数々(しばしば)懈廃すれば、たとえば火を鑽る(きる)に未だ熱からずして、而も息めば、火を得んと欲すといえども、火を得べきこと難きがごとし。」

 旧約聖書で祝福された人間集団に属する人々には、小欲・知足を守り、一方、常に勤め励み、祝福の対象外の人々も含めて全人類の幸福の為に寄与して貰いたいと思っています。その第一歩はガザでの戦闘行為を直ちに中止し、ヨルダン川西岸への強制入植活動も中止することです。

伊神喜弘

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