-元検事正の部下の女性検事への性的暴行を一転無罪と主張したとの新聞報道-
2024年(令和6年)12月11日付の日経新聞は、「元検事正、一転無罪主張へ 部下に性的暴行 次回公判で」との見出しで、初公判で起訴内容を認めた元大阪地検検事正のKが、一転して無罪を主張するとの報道がされました。同記事は、Kは6月の逮捕後、「同意があると思っていた」と容疑を否認したが、10月25日の第1回公判では起訴事実を認めたが、その後、主任弁護人が中村弁護士に交代し、記者会見を開き、「Kに女性が抗拒不能だったとの認識はなかった。犯罪の故意はなく無罪だ」と主張し、第2回公判以降無罪を求めると報道しています。テレビの記者会見では、中村弁護士は、「女性の同意があった。」とも言っていました。
翌12月12日付に日経新聞は、「被害女性反論 『同意ない』性的暴行巡り 元検事正の無罪主張に」との見出しで、被害女性がKの主張変更を知って「絶句し、泣き崩れた。夜も眠らず苦しいと」と涙ながらに語り、「(Kと)私的な関係は一切なかった」、「抵抗が著しく困難だったことを十分認識していたはずだ」と述べ、「同意はなかった」と反論したと報道しています。
この事案は、今から6年前の2018年(平成30年)9月大阪地検の検事らの会合で、飲酒して酔った女性検事が、当時検事正Kから性的暴行を受けたというものです。Kが刑事責任を問われたのは、刑法178条2項の準強制性交等の罪です。
この報道を見たので刑事罰と女性の尊厳・人権保障の課題について取り上げようと多います。
女性に対する性的暴力に関する刑法改正の概要
新聞報道された事件が発生した2018年(平成30年)9月当時の刑法178条2項(準強制性交等)は以下のとおりでした。
2018年9月当時の刑法178条2項(準強制性交等)
人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、姦淫した者は、性交等をした者は、前条の例による。
そして、前条である刑法177条(強制性交等)の条文は以下のとおりでした。
13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、5年以上の有期懲役に処する。13歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。
強制性交等に関する刑法は、2017年(平成29年)7月に改正されておりそれ以前の刑法177条や同法178条2項の条項は以下のとおりでした。
(刑法177条 強姦)
暴行又は脅迫を用いて13歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、3年以上の有期懲役に処する。13歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。
(刑法178条2項 準強姦)
女子の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、姦淫した者は、前条の例による。
2017年(平成29年)7月改正後と比較すると、①性的暴行の定義が「姦淫」から「性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等)」」と変更され(これは男性被害者や行為の多様性をカバーするためです。、②刑罰が3年以上から5年以上と重くなっていますが、もっとも肝腎な性的暴行が犯罪として成立する要件は「暴行又は脅迫を用いて」変更されていません。
その後、更に、2023年(令和5年)7月1日に刑法177条及び同法178条は抜本的に改正され、刑法177条(不同意性交等)に一本化されました。この法改正の意義と限界は今回のブログの主要なデーマの一つですがこれらについては後述します。)。
以上のように、性的暴力に関係する刑法の条文は短期間に改正されていますが、刑法では犯罪が実行された時点の法令が適用されますので(刑事罰における遡及の禁止という大原則によります。)、元検事正Kは前記に引用した2017年(平成29年)7月改正の刑法178条2項(準強制性交等)によります。
-元検事正の翻意を誘発した当時の刑法の被害者の人権保障機能の欠陥-
2023年(令和5年)7月抜本的改正前の、刑法177条及び同法178条には、女性の人権保障ないし尊厳の保障の観点から重大な欠陥がありました。
それは、性的暴力が犯罪として処罰される要件が「暴行又は脅迫を用いて」とされていた条文の定め方そのものです(専門的には「構成要件」といいます。)。
考えてください。暴行・脅迫といってもその程度があります。刑法208条は暴行罪を定めていますが、暴行罪にいう「暴行」について「人の身体に対する不法な攻撃方法の一切をいい、その性質上傷害の結果を惹起することを要せず、着衣をつかみ引っ張るなどは暴行にあたる。」とされています(大審院昭和8年4月15日判決・刑集12・427)。暴行といっても非常に軽度なものから重大なものまですべて含んでいます。ところが、強制性交等(改正前の強姦)の成立要件である暴行・脅迫は、強盗罪におけるように相手方の犯行を抑圧する程度のものであることまでは要しないが、犯行を著しく困難ならしめる程度とされていました(通説、最判昭24・5・10集3巻6号711頁)。すると、「犯行を著しく困難ならしめる程度」とは判断されない程度の暴行が加えられたケースでは、仮に被害女性が同意していないケースであっても、不同意性交等(強姦)の刑事罰には問われないことになります。
又、刑法178条は「心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせる」としています。この場合も、心神喪失に至らない程度、抗拒不能とはいえない程度の場合には、仮に被害者が当該わいせつ行為に不同意であっても、加害者は刑事罰には処せられないことになります。
性的自由を確保することは女性にとってその人間としての尊厳と人権を保障する基盤となるものであり、この点が確保されないこととなります。
元検事正Kの弁護人である中村弁護士は、抗拒不能ではなかった=同意があったとテレビの記者会見で言っていたことは前述しましたが、この発言は短絡しており、抗拒不能ではなかったので無罪だというまではいいとして、進んで抗拒不能でなかったからといって同意があったとまでは言えないはずです。
現に判例では次のような行為でも、刑法177条(強姦、平成29年の改正後の不同意性交等)に該当しないとされています〔大コンメンタール刑法 第3版 第6巻(青林書院) 66頁引用の判例です〕。これら判例は、強い暴行や抵抗がなくても被害者が同意していないケースであった可能性あります。
山口地裁昭和34年3月2日判決(下集1巻3号611頁)
首に手を掛け、押し倒し、馬乗りになり、ズロースを引き脱がして姦淫した
高松高裁昭和36年10月30日判決(高検速報211号)
被害の両膝を自己の膝で締め付けてブラウスを剥ぎ取り,同女を抱き抱えるようにして蚊帳の中に入れてから仰向けに押し倒し上から乗り掛かる等に暴行を加えた事案、著しく困難にさせるものではない
第1回公判期日において起訴事実を争わないと準不同意性交を認めたのに、その後一転して、「Kに女性が抗拒不能だったとの認識はなかった。犯罪の故意はなく無罪だ」と主張し始めることを可能にしたのは、暴行・脅迫の程度につき犯行を著しく困難ならしめる程度を必要とし、心神喪失乃至抗拒不能を要件としていた2023年(令和5年)改正前刑法の条文の定め方乃至解釈にその根拠があります。
確かに、刑法の条文(構成要件といいます。)の解釈については、被告人の人権保障の観点からいわゆる厳格な解釈の必要性が説かれ、この必要性から、暴行・脅迫の程度につき犯行を著しく困難ならしめる程度を必要としたり、心神喪失乃至抗拒不能を要件とする必要性があるかもしれません。しかし、このような被告人の人権保障を強調する態度は、その一方では被害女性の性的自由を含む女性の人間としての尊厳を軽視することも招来することを忘れてはなりません。
このように、依然として「抗拒不能」の認定が難しく、被害者が守られないケースが残ることになります。
-2023年改正後の不同意性交等の罪について-
2023年(令和5年)7月1日に、それまでの刑法177条(強姦)及び同法178条(準強制わいせつ及び準強姦)〔2017年(平成29年)改正後は、強制性交等、準強制わいせつ及び準強制性交等〕〕は、抜本的に改正され、刑法177条(不同意性交等)と一本化されました。
同時に、刑法176条(強制わいせつ)も、刑法176条(不同意わいせつ)と改正されました。
少し長文になりますが、新しい刑法176条1項、177条1項の条文を次の掲げます。
(刑法176条1項)
次に掲げる行為又は自由その他これらに類する行為又は事由により、同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあることに準じて、わいせつな行為をした者は、婚姻関係の有無にかかわらず、6月以下の拘禁刑に処する。
一 暴行若しくは脅迫を用いること又はそれらを受けたこと
二 心身の障害を生じさせること又はそれがあること
三 アルコール若しくは薬物を摂取させること又はこれらの影響があること
四 睡眠その他の意識が明瞭でない状態にさせること又はその状態にあること
五 同意しない意思を形成し、表明し又は全うするいとまがないこと
六 予想と異なる事態に直面させて恐怖させ、若しくは驚愕させること又はその事態に直面して恐怖し、若しくは驚愕すること
七 虐待に起因する心理的反応を生じさせること又はそれがあること
八 経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮させること又はそれを憂慮していること
(刑法177条1項)
前条第1項各号に掲げる行為又は事由その他これらに類する行為又は事由により、同意しない意思を形成し、表明し又は全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあることに乗じて、性交、肛門性交、口腔性交又は膣若しくは肛門に身体の一部(陰茎を除く。)若しくは物を挿入する行為であってわいせつなものをしたものは、婚姻関係の有無にかかわらず、5年以上の拘禁刑に処する。
同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすること同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすること
改正後刑法の中核・キーとなる概念は「同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあること」ですが、端的に「同意がない」といわず、「困難な状態にさせ又はその状態にあること」と表現しているところに、未だ女性が同意していない男性の違法行為が容認される余地を残しています。しかし、一方では刑事被告人乃至被疑者の人権保障(「被害女性」による「加害男性」の陥れの危険性の防止など)も必要ですから、この程度でやむを得ないかもしれません。
ただ、少し気になることがあります。それは、改正後の不同意性交等の罪の構成要件として、「暴行若しくは脅迫を用いること又はそれらを受けたこと」とあることです。もし、ここでいう暴行、脅迫が、改正前と時代と同様に、「犯行を著しく困難ならしめる程度」という解釈を取るとすれば、被害女性の同意が認められないケースにおいて、「同意しない意思を形成し、表明し又は全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあること」といえないとされる可能性が残ることになります。したがって、改正後の不同意性交等の解釈においては、暴行・脅迫について「犯行を著しく困難ならしめる程度」という解釈は採用されてはなりません。
-最後に、2023年改正刑法の評価と課題を述べておきます-
進歩した点は、このブログでは触れませんでしたが、被害者の状況を多角的に評価する規定を設け(処罰範囲を「姦淫」から「不同意性交等」と拡大したこと)、犯罪成立の要件を「暴行・脅迫」を「同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあること」を中核要件としたことです。
ただし、「暴行若しくは脅迫を用いること又はそれらを受けたこと」との要件の解釈が従来通りであれば、同意のない性的行為を見逃す可能性がある点です。
そして、元大阪地検検事正のKが、一転して無罪を主張したケースの今後の帰趨を見守りたいと思います。女性検事の「(Kと)私的な関係は一切なかった」、「抵抗が著しく困難だったことを十分認識していたはずだ」と述べ、「同意はなかった」と反論が刑事裁判でどこまで認められるでしょうか。
名古屋弁護士 伊神喜弘
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