反省と悔悟

刑事弁護

 自分のしたことを真に反省することはなかなか難しいことです。過去の新聞記事からこの人は本当に反省しているんだと思った人のことを紹介します。

 1987年(昭和62年)4月15日に次のような新聞報道がありました。

Mの死刑 2審で確定  H市の保険金殺人「上告せず」意思固く

 愛知、京都で起きた保険金詐取や借金踏み倒しを狙った3件の殺人事件で強盗殺人罪などに問われたMは、先月31日、名古屋高裁で1審の死刑判決が支持され控訴棄却の2審判決を受けた。弁護人によると、2審判決後、Mの前妻と2人の子供が1回、弁護人が2回、名古屋拘置所に出向いてMに上告を勧めたが、「このまま死刑の執行を受けるのが被害者への償いだと思う。自分の家族にも肩身の狭い思いをさせたくないので、三度判決を受けるのは本意ではない。」との決意が固かったという。弁護人によれば、Mは控訴審判決後「判決に服す。」と固い決意を示し、「死刑の違憲性を争うためにも上告を勧めたが、気持ちを変えられなかった。今回は自分の意思で決めたかったようだ。」という。

 名古屋拘置所でのMは読経と写経の日々を過ごし上告期限ぎりぎりの14日夜も「取り乱したところは一切なかった。」という。

 控訴審判決当時44歳であった。

 Mは肺結核を患っていたうえ、30歳ころ事業がうまく行かず、収入が減り人生に絶望。麻雀などにのめり込んで多額の借金を抱えたことから、共犯者とともに犯罪を犯した。しかし、逮捕された時から「死刑は当然と思う。」と観念しきった態度を見せており、裁判でも終始犯行を認め、浄土宗に入信し、拘置所では読経と写経の日々を送り反省と悔悟の念が強く、その点は高等裁判所でも評価された。弁護人は「これだけ反省している人を死刑にする必要があるのか。」と弁護したが、高等裁判所は1審の死刑判決を維持しました。

 おそらく、人は反省や悔悟するときにも打算が働き、反省・悔悟すれば神様に助けてもらえる、再起のチャンスが得られるという気持ちが起きるのが否定できません。Mの反省はこれらの気持ち超えていると思われます。

名古屋弁護士 伊神喜弘

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