小欲について

仏教

-小欲についてお釈迦さまの教えから解きほぐす-

前回のブログ「神の祝福と小欲、知足」で、道元禅師著「正法現蔵」から「八大人覚」を引用しました。ブログ編集者から「小欲、知足」について若い人にも分かるよう解説するとよいとの助言を受けました。「小欲、知足」のうち「小欲」について、私なりに解説してみます

 「八大人覚」とは、お釈迦さまが亡くなる直前に説いた最後の教えで、①小欲、②知足、③楽寂静、④勤精進、⑤不妄念、⑥修禅定、⑦修智恵、⑧不戯論の八つの教えです。お釈迦さまは35歳で悟りを開き、80歳でなくなるまで約45年間の長きにわたり、いろいろな教えを説きました(仏教の概念で重要なのは「方便」といいます。嘘も方便の方便です。)。方便にせよ、あまり色々なことを説きましたので、残された人々は一体どの教えによるべきか混乱し今日に至っています

 お釈迦さまは亡くなる直前になり、自分の教えをわかりやすく前記①~⑧の八大人覚とし、その中でも、突き詰めて考えたすえ、小欲こそもっとも大切なことだとし、八つの教え(八大人覚)の最初にもってきたのです。

※知足(足るを知ること)、楽寂静(一人静かに生活すること)、勤精進(精進して怠らないこと)、不妄念(戒め、例えば盗まない、殺さない、邪な性的関係などの戒めを忘れない)、修禅定(坐禅、瞑想のこと)、修智恵(人生の智恵の智恵に近い概念)、不戯論(余分な論争をしない)

 私の考えるところ、人間にとってもっとも大切なことは、生まれてから死ぬまでの間、如何に平穏に過ごすかを実現するかです。天災や病気はともかく、人間にとって幸せや不幸、災難はほとんどが人間関係から起きるものです。天災や病気であっても、人間関係が良好であれば、その被害を最小限に抑えられます。そして、人と人との人間関係を平穏さを実現する核心は何かを突き詰めて考えると、人々がそれぞれ、小欲を実行することです。

 道元禅師は、仏教徒のなかでも「八大人覚」を知っているものが少ないことを嘆いて、その著書「正法現蔵」で、「八大人覚」を取り上げて紹介したのです。

 -小欲の原文は以下の通りです-

 一つには小欲。かの未得の五欲の方のなかにおいて、広く追求せず。名づけて小欲となす。

 仏のたまわく。

 汝達比丘、まさに知るべし。多欲の人は多く利を求むるが故に、苦悩もまた多し。小欲の人は求めなく欲なければ、則ちこの患なし。

直ちに小欲すら、なほまさに修習すべし。いかにいはんや小欲のよく諸の功徳を生づるをや。

小欲の人は則ち、諂曲して以て人の意を求むることなし。またまた諸根のために牽かれず。小欲を行ずる者は、心則ち坦然として憂畏するところなし。事に触れて余りあり。常に足らざることなし。

小欲ある者は則ち涅槃あり。これを小欲と名づく。

 -現代訳を試みました-

 お釈迦さまの最後の教えである8つの教え(八大人覚)の中でも、もっとも大切な教えは「小欲」です。

 私こと道元禅師の解釈では、小欲とは、財欲、色欲、飲食欲、睡眠欲、名誉欲(以上を5欲といいます)について、それらを求めようとする場合、あまり多くを求めないようにすることを意味しています。

 お釈迦様は次のようにいいました。

 私は亡くなるにあたってあなたたち出家者に改めて大事なことを教えます。欲の多い人間は沢山の利益を求めるために、苦しみも多いということです。一方欲の少ない人間は、欲を求めないので、沢山の利益を求めることから生まれる苦しみもありません

 苦しみをなくするためには、今日にでもすぐに、小欲を実践しなさい。小欲を実践すると、苦しみから逃れられるだけではなく、あなたにはいろいろと良い事が起こってきます。

 まず、小欲を実践する者は、疑い深さがなくなります。他人がこう思っているのではないか、ああ思っているのではないかと考えることがなくなります。そして、同時に、小欲の人は、眼、耳、鼻、口、肌などから生ずる快よさ(快楽)に振り回されません。小欲を実践する者は、心が広々とし穏やかになり、物事のことを心配したり、恐れたりすることもありません。何事にも満足し、いつも不満足だ不満足だと思って過ごすことがなくなります。

 小欲を実践する者は、悟りを実現できます。以上に述べたのが小欲です。

上記翻訳の補足となります。小欲を実践すれば最近の言葉でいうと他者承認欲から解放されます。「他人から認められたい」「他人に評価されるためには私はこのような存在でいなければならない」などこのように思い込んでしまっていませんか?自分の幸せは自分で感じるものであり他者から認められることは本当に幸せなのでしょうか。不幸だと思っていることは本当に不幸なのでしょうか?あなたの思い込みなのではないでしょうか?この世に生を受けて生きていること自体が奇跡だと私は感じてます。

小欲を実践し、他者に対して寛容になり、多くを求めなければ人間というものは幸せになれるものだと私は信じております。世の中どんなことが起こっても100パーセントマイナスなことなんて絶対にない。今目の前にあるその環境がどれほどありがたいことなのかを感じることが人生を豊かにする大きなポイントだと思っています。

名古屋弁護士 伊神喜弘

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