多くの子どもは、秘密の小屋ないし部屋を作ったり、持ったりしていると思います。私も、おそらく小学校1、2年のころ、近所の友達と一緒に隣の林の小高い丘の斜面に、集めてきた木ぎれや萱草で小屋を作った覚えがあります。丁度雪が降っており、作った小屋に入って偏(こず)んで、満足していた自分を思い出します。
私は大学4年間と司法修習生の前期の4ヶ月、計4年と4ヶ月は東京に住んでいました。その後郷里の愛知県に戻り弁護士を業務とし、今日に至っています。しかし、仕事柄、東京に出向くことがあります。ほとんどは日帰りで、泊まることはありません。
一度、5,6年前に亡くなった修習が同期である弁護士の服部優さんと二人で一緒に歩き、それぞれが下宿していた場所を訪れたことがあります。私は中野区の新井薬師の付近に下宿していました。服部さんは西武新宿線の新井薬師駅の北側に下宿しており、私は南側でした。それこそ何十年も経って訪ねたのですが、以前の木造の下宿の後には、マンションが建っていましたが、そのマンションは学生用乃至単身者用の小さな部屋からなっており、ベランダには洗濯物が干してありました。木造建物がマンションに変わっていましたがコンセプトは全く変わっていないと感心したことを思い出します。
ところが、私は東京の下宿を引き払って愛知県に戻ったはずなのに、その後も、実は、わたしは、ずっとその下宿を借り続けているのです。夢の中の話です。下宿には大きな木が生えており、その大きな枝に小屋が吊されています。その小屋は一部屋です(下宿していたのは3畳の部屋でしたが、それが小屋に変わっているのです。)。この小屋は私が自分で作ったものです。部屋の広さは4畳半くらいで、一つだけ本棚が部屋の北側の窓付近に置いてあります。その本棚には数冊の法律の本が立てかけてあります。隣の部屋には人が下宿しています。挨拶はしたことがありません。隣の部屋と小屋の部屋は隣り合っています。
東京に出張したとには、その部屋に泊まります。そして、昼は、山の手線のように都心を大きく回る広い道路を進みます。何の用事なのか分かりません。歩いているのか車に乗っているのか。速度は相当の早さです。電車に乗ってぐるぐると東京を回っているときもあります。行き先ははっきりしませんが、大学ではないかとも思います。門から大学構内に入ったこともあります。国会議事堂付近かも知れません。お茶の水駅が夢に出て来るときはきっと電車に乗っているのでしょう。
東京にはこういう秘密の小屋・部屋を持っていました。いつも見ていたわけではありませんが、間隔をおいて、年間にすると数回、夢に出てきます。
一つ問題があり、この小屋を作って、そして、泊まることまでするのに、一度も大家さん(Sさん)に挨拶に行っていないことです。当然、賃料も支払っていないことになります。下宿していた部屋は2階で、大家さんはその1階住んでおり、自動車の修理工場も営んでおられました。だから、東京に来て小屋の泊まったときに、下の1階に行くだけなのです。仮に、賃料が一ヶ月あたり2万円としても、延滞額は多額となります。50年であれば、2万円×12ヶ月×50年=1200万円に上ります。 大家さんに今度こそ挨拶しなければ、そして、延滞賃料も少しずつ支払わなければと、どうして支払おうか、今回も東京で小屋に泊まったときも顔を出さなかった、どうしようと思うと夢から覚めます。 ただ、つい10日ほど前に、この小屋を大家さんに返す夢を見ました(未払賃料の清算をどうしたかは、夢の中では曖昧でしたが)。東京の秘密の小屋の話はこれで終わりになると思い、半分ホッとしています。
名古屋弁護士 伊神喜弘
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