観音経の不思議

仏教

観音経というお経があります。このお経は、法華経第25に納められているものです。したがって、本来は法華経の一部を構成するものですが、古くから人口に膾炙され、独立のお経と思っている人も多いと思います。お釈迦様が説いたお経のように書かれていますが、お釈迦様が亡くなられてから500年くらいあとに、お釈迦様の精神を継承した人々が、霊感の下に説いた教えというのが正解です。こういうとありがたみが減少しますが、多くの人々が2000年にわたってお釈迦様の教えと信じて来ました。

 観音様は、般若心経に出て来る観自在菩薩と同じ菩薩で、インドではアヴァローキテーシュヴァラといい、「世間の多くの人々(衆生)から観られつつ、多くの人々を観、そして救う働きが自由自在であることを指しており、それは根源的な叡智を体得した者の働きと通常解せられている」というそうです(中村元・紀野一義訳注 般若心経・金剛般若経 岩波文庫 19頁)。

 私は若い頃から、決定的に困ったとき等は、観音様にすがることに決めています。 政治学者の丸山真男が、人間は抽象的な観念の体系なくしては生きていけない存在だと書いていましたが、私もその通りと思い、少し合理性を欠いているなと思ってはいますが、急迫したときは観音様に頼ることにしています。。

 ただ、唱えていて不思議だと思う点があります。

【観音経の不思議な点①】

観音経には病気を治して上げると一言も書いてないこと

 観音経は、「衆生困厄を被りて、無量の苦身にせまるとも、観音の妙智力は、能く世間の苦を救い給う」「無垢清浄の光ありて、慧日諸々の闇を破り、能く災の風火を伏して。あまねく世間を照らし給う」といっています。とにかくこの世で生きて行くとき遭遇するさまざまな災難は、災難に遭ったとき「南無観世音菩薩」と唱えれば、なんでも全部救って上げると断言しています。

たとい大火にはいっても火も焼くこと能わず。

大水に漂わされても浅き処を得ん。

雷や大雨が降っても、自ずから消滅します

盗賊にあっても、彼の執る刀杖は折れてしまします

※以上は、人災や天災

人のために推し堕とされんにも、日の如く虚空に止まります

※人に裏切られた場合などを示しています。

王難の苦に遭(あ)い、刑に望みて命終わらんとしても、執行の刀は壊れます。

※冤罪で死刑に処せられる場合など

悪獣や毒蛇に囲まれても、その悪獣や毒蛇はくるっと方向を変えて向こうに行ってしまいます

呪詛諸々の毒薬、身を害せんとせられん者、還りて本人につかん

※ノイローゼ等精神症状で悩まされるとき等

 ただ、不思議なのは病気になったとき病気を治して上げるとは一言も書いていません。これが不思議の第1点です。この点考えてみると、仏教では生老病死は人生で避けられないとしていることが教理的背景にあるかも知れません。

 そのかわり、「生老病死の苦、漸(ぜん)をもって悉く滅せしむ」とあります。

【観音経の不思議な点②】

観音経は人間の欲望を戒めているにも関わらず、人間にとって最も大きな欲である「子どもが欲しい」という欲に関しては願えばかなるとしていること

 観音経は、人間の欲望、怒り、愚痴を戒めています。

 若し衆生ありて淫欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち欲を離るることを得ん。若し怒り多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち怒りを離るることを得ん。若し愚痴多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち欲を離るることを得ん。

 ところが、このつづきに以下の言葉が出てきます。

若し女人有りてたとい男を求めんと欲して観世音菩薩を礼拝恭敬せば、すなわち福徳智慧之男を生まん。たとい女を求めんと欲して観世音菩薩を礼拝恭敬せば、すなわち端正有相之女の昔徳本を植えて衆人に愛敬せらるるを生まん。

 私が思うに、子どもを授かりたいと願うことは欲のうちでも最も大きなものです。欲や怒りそして愚痴を少なくしなさいと言った舌の根も乾かないうちに、人間にとって最も大きな欲である子どもを授かるんだと言うのは、大きな欲を願えばかなえてあげるよということであって、観音様として少し矛盾している様な気がしています。

 観音経は不思議なお経だなと思います。

【観音経の不思議な点③】

観音経ではお釈迦様の弟子のはずである観音様が師匠である仏様の姿にもなるという不思議がある

 観音経は、観音様がこの娑婆世界で、仏様や、お坊様、民間人、役人、女性、子どもといういろいろな姿になって、人間としての正しい生き方を実践していると言っています(観音三十三身説法といいます)。

是の観世音菩薩は是の如きの功徳を成就して種々の形をもって諸々の国土に遊びたまう。

 いろいろな姿になるというのはいいですが、仏様の姿になるというのは(「善男子。若し国土の衆生有りて、応に仏身を以て得度すべき者には、観世音菩薩即ち仏身を現じて為に説法し」の箇所)、観音様は確かお釈迦様の弟子のはずですので、少し違和感があります

【観音経の不思議な点④】

南無観世音菩薩と唱えれば訴訟沙汰と戦争の苦しみから免れると断言していること

 観音経は、訴訟沙汰と戦争の苦しみも、南無観世音菩薩と唱えればその苦しみから免れると断言しています。その箇所は以下のとおりです。

甘露の法雨を注いで、煩悩の焔を滅除す。諍い訟え(争い訴え)られて官処(かんじょ)を経、怖畏(ふい)なる軍陣の中にも、彼の観音の力を念ずれば、衆の怨(あだ)悉く退散せん。

 「諍い訟えられて官処を経」とは、裁判に訴えられたことを指しています。「怖畏なる軍陣の中」とは国から軍隊に徴兵され戦争に従事させられていることを指しています。

 観音経の大きなキーワードは、人々を様々な恐怖から救うことです。「是の菩薩は能く無畏をもって衆生に施し給う」「是の観世音菩薩摩訶薩は怖畏急難之中において能く無畏を施し給う」と言っています。裁判沙汰や戦争は人間を恐怖と不安に陥れる最も代表的なものです。そんなに簡単には裁判や戦争の苦しみから逃れることはできないはずです。そうであるのに、「彼の観音の力を念ずれば、衆の怨悉く退散せん」と断言してはばからないのが、不思議なことです。

名古屋弁護士 伊神喜弘

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