責任能力の弁護のあり方

刑事弁護

弁護士会は一般会員に対する研修に熱心である。12月2日、3日と刑事事件の裁判員裁判の研修が行われた。テーマは責任能力に関するもので、裁判官、裁判員、検察官、弁護人により、統合失調症に罹患して犯罪を犯した刑事被告人に対して、模擬の裁判が実施された。

 私は、法廷における裁判と裁判官及び裁判員の判決に至る評議を傍聴した。

そこでの論点は、被告人が統合失調症という精神障害によって事件を起こしたことに刑事責任が問えるかということであり、弁護人は心神喪失で無罪を主張し、検察官は精神障害に罹患していた事実を認めるながらも、有罪を主張するものであった。少し専門的になるが、被告人は責任能力が認められるか否か、言い換えると、心神喪失か、心神耗弱か、完全責任能力かが論点であった。

 模擬裁判を傍聴していて、一番残念に感じたことは、医療観察法の存在をほとんど意識せずに、弁護人も検察官もそして裁判官、裁判員も裁判を進めたことである。

 医療観察法が立法されて、すでに十数年経過しているが、この法律の下では、心神喪失であるから責任能力がないとして無罪になったり、心神耗弱として責任能力が著しく減退していたとして減刑され執行猶予になったとしても、そのまま釈放→「無罪放免」ということは、飲酒して心神喪失ないし心神耗弱と判断される以外では、ありえない。医療観察法により特別の精神科病院に入院させられる。この法律により一旦、入院したときには、立法当時のガイドラインでは入院期間は1年半とされていたが、現状では長期入院になっているケースが多い。私はこの現状を保安処分的運用といっている。私が弁護した事件でも、心神耗弱が認められて、2年執行猶予4年の判決となったが、そのまま精神科病院の入院となり、既に5年間退院できていなない。

 したがって、責任能力に関する刑事の弁護活動は、医療観察法による精神科病院への入院と一旦入院となったときには、退院は容易ではないことを、常に頭に置くべきである。

 私の見るところでは、極論すると医療観察法が立法されてからは、早期の身体拘束からの釈放という観点では、刑事弁護で責任能力がない、或いは著しく減退しているとして無罪ないし減刑を求める意義は、死刑事件で死刑を回避し無期懲役にする以外にはあまり意味がない。

 刑事事件の責任能力に関する弁護を意味のあるものにするためには、医療観察法による精神科治療の抜本的改善が図られなければならない。

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