-精神疾患患者の入院の難しさ-
病気にかかったとき、その人は、自分の身体の異変に気づき自ら医者のもとに出向いて診察をうけ、お医者さんと相談のうえ入院が必要だと自ら判断して病院に入院します。患者本人の意思が十分に尊重されるのが一般的です。
大きな怪我を負ったり、病気が重症で、患者本人が意思を表明できないときでも、患者本人は仮に意思を表明できる状態であれば当然に、病院に入院することに同意するはずです。したがって、この場合であっても入院はあくまで患者本人の意思によるものと考えられます
ところが、精神疾患を抱える人の場合には、患者本人が自分が病気にかかり入院の必要性があるときでも、入院して治療を受けなければならないという気持ちにならないことがあります。周りの人間の立場からは、患者が妄想などの症状のために、恐怖、驚愕に陥り、場合によっては他人に危害を加えるおそれがあると感じる場合があります。 患者本人が、これら症状が、病気のせいだと自覚できれば、自らお医者さんに相談するでしょう。しかし、このような意識がない場合があります。このような場合に、患者本人を説得し入院させ、治療することには、難しさが伴います。
精神保健福祉法の定め
精神保健福祉法の概要
精神保健福祉法という法律があります。この法律は、大雑把にいうと精神疾患を有する者(法律では「精神障害者」といっています。)の医療及び保護を行うことを目的としてものです。
この法律は、精神疾患の罹患して入院するばあいの入院を、任意入院(同法20条)、医療保護入院(同法33条)、措置入院(同法29条)の3つに分類しており、普通の病気による入院と違ったルールを定めています。どこが違っているのかというと、強制入院を基本としているところです。
任意入院は患者本人の自由意思による入院で、普通の病気による入院と同じです(実際には、普通の病気による入院とは少し違がっています。)。
一方、医療保護入院及び措置入院は患者本人の意思に反する強制入院です。
・医療保護入院
医療保護入院は、患者の家族等の同意があるとき、精神科病院が患者を強制的に入院させるというものです。入院の目的は医療を与えること以外に、「保護」を目的としています。「保護」という概念が重要であり、患者本人の保護のほかに、付随して、家族や地域社会の安全を目的としているといえます。
・措置入院
措置入院は、都道府県知事(政令都市にあってはその市長)がその指定する医師(指定医といいます)の2名の診察により、強制的に入院させる制度ですが、これは、入院の目的を、患者自身を傷つけること、他人を害することの防止としています。
医療保護入院と措置入院の人権侵害リスク
・人権侵害の可能性
このように、医療保護入院や措置入院は患者本人の意思に反して、精神科病院に入院させるという強制入院制度ですから、患者の人権を侵害するリスクを内在しています。したがって、入院にあたっては、患者の人権侵害がなされないよう運用されなけれななりません。
・実際の人権侵害事例
私は愛知県弁護士会の精神保健委員会に所属しています。その活動のなかで、次のようなケースを知りました。家人が本人の了解なく通院していた医院から診療情報提供書を入手したうえ、レジャーに行く、一緒に行こうと誘い出され、精神科病院に連れていかれて、家人の同意で医療保護入院させれたというケースです。これは患者をだまして精神科病院に連れて行き、強制入院させたというケースです。
ひどいケースで家人が民間救急隊に依頼して強制的に拉致して病院に搬送するものです。風間直樹著「門外漢が問うニッポンの精神医療」(病院・地域精神医学 65巻2号 14頁)に詳細な報告があります。私自身も、家人が警察OBに依頼して、大きな布に袋詰めにして、精神科病院に強制入院させた事例を経験しています(正に、逮捕・監禁ですね。)。
移送制度の立法化とその課題
移送制度の概要
このような人権侵害の防止のため、既に今から20年以上前の1999年(平成11年)に、医療保護入院及び措置入院について、移送制度という制度が立法化されています。医療保護入院については精神保健福祉法34条、措置入院については同法29条の2の2の規定です。
これら法律の定めに関して、「精神障害者の移送に関する事務処理基準について」〔平成12年3月31日 障第243号 各都道府県知事・各指定都市市長宛 厚生省大臣官房障害保健福祉部長通知〕が定められています。
医療保護入院で説明すると移送の要点は以下のとおりです。
(1)家族の保健所への相談
(2)都都道府県職員(政令指定都市にあっては当該市の職員)の事前調査の実 施
(3)移送の手続の実施の手順
①移送の対象者への告知
②指定医による診察(精神保健福祉法18条に指定医の定めがある)
③家族の同意
④車両による移送の実施
(4)精神科病院への入院
移送の手続を要約します。
患者がその意思で入院することを拒んでいるが、家族などその症状から入院させた方がいいと思います。家族等が保健所に相談をかけます。保健所の職員が、患者の居宅等その現在地に派遣され、患者本人や家族から事情を調べ、患者に主治医があるときには治療状況を把握します。
その結果、患者の幻覚,妄想等の程度が重篤で、直ちに入院させなければならないと判断したとき、精神科病院に搬送する手続に入ります。
その手続にあたっては、指定医の診察がされます。
家族の同意で、精神科病院に搬送し医療保護入院となります
移送制度の形骸化
しかし、移送制度の立法化はされたものの、ほとんど活用されていません。
ちょっと古いデータになりますが、2014年(平成26年)で、全国で僅か84例しかありません(厚生労働省「衛生行政報告例」による)。その後10年ほど経過していますが、移送制度はほとんど活用されていないと思います。
精神疾患患者の入院をめぐる人権侵害の防止策
人権侵害の根絶に向けて
精神疾患者の入院さいの人権侵害の多くは、その家族によるものです。ここに 精神疾患を有する者の入院をめぐっての人権侵害の特徴と深刻さがあります。
これら人権侵害を根絶するためにはどうしたらいいのでしょうか。 (根本はなにか)
根本は、精神疾患の治療可能性を本人、家族そして社会が信じることです。精神疾患に対しては、深い偏見があり、病気を知られることを患者本人や家族が不安を抱き、特に統合失調症に代表される精神疾患(精神病、精神障害といわれることが多い)をひた隠し得ざる状況があります。なぜこのような深い偏見が残っているのかその原因は、統合失調症に代表される精神疾患の原因が不明で、治療方法も確立していないことにあります。私が小さい頃はハンセン氏病に対して、いい知れないおそれと偏見が残っていました。いまでも、あの家には近づいて行ってはいけないと言われていた記憶が残っています。しかし、ハンセン氏病については有効な治療薬が開発され完治するものだということがわかり、偏見はなくなりました。
一方、統合失調症の原因については、ドパーミン仮説、グルタミン仮説そしてカルシニューリン仮説等により解明されつつあります(岡田尊司著 統合失 調症 PHP新書 154~186頁 「統合失調症の神経メカニズムと原因」 参照)。薬もクロルマジンが開発され、まず定型型抗精神病薬が次々と開発さ れた。その後クロザビンが開発され、顕著な改善効果が認められ「奇跡の薬」 と言われました。そして、非定型抗精神病薬が開発され、今日に及んでいます (同書 211~276頁)。
上記を纏めると精神疾患患者をめぐる人権侵害の防止策として下記3点がとても重要だと分かります。
①偏見と不安の解消
これら、原因の解明と薬の開発に皆が希望をもつことです。そうすれば、深い偏見と、病気を知られることによる患者本人や家族が不安も解消されます。
②病識の獲得
病識とは精神疾患患者のもつ自分の病気に対する正しい認識のことをいいます(現代精神医学事典 平成23年10月15日 初版1刷発行 株式会社弘文堂 888、889頁)。精神疾患に対する偏見や不安が解消されれば、自分が精神疾患だからといって不利益をうける心配が減少し、深層心理的によい 影響を及ぼして、病識も獲得しやすくなるはずです。
③治療環境の改善
こうなれば、仮に精神疾患に罹患し、妄想などの症状のために、恐怖、驚愕に陥り、場合により他人に危害を加えるおそれが生じた場合であっても、家族等の説得などにより患者の意思によって入院するケースが多くなるはずです。
最後に
精神疾患患者の人権を守りながら、適切な治療と保護を提供するためには、社会全体が精神疾患に対する理解を深め、偏見をなくすことが不可欠です。
名古屋弁護士 伊神喜弘
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