刑事事件の失敗-裁判官と検察官への恩義

刑事弁護

 まだ、若いころのことでした。弁護士になって10年以内のことでした。私が結婚する少し前のことであったと思います。

 私は、国選弁護人としてある刑事事件を担当していました。その事件は、Aという被告人が、農村地区の鶏を飼っている5,6軒の農家をまわり、数件の鶏がある病気(ニューカッスル病といったと思います。)に罹っているといって安く鳥を購入したのが、詐欺だということになり詐欺罪で、検察官から公訴提起された(裁判にかけられた)という事件でした。

 詐欺罪は、刑法246条で、10年以下の懲役となっています。

※刑法はその頃から一部改正されています。現在では懲役や禁固ではなく拘禁刑となっています。

  また、執行猶予についても一部執行猶予という制度が創設され、後に引用する刑法26条本文の定めも少し変更されています。但し、本ブログの文意には関係はない

 ところで、Aさんは、以前に刑事事件で有罪判決を受けたことがあり、懲役刑の裁判を受けていましたが執行猶予の期間中でした。

 Aさんは、非常に貧しく、家族は妻と小学校に入るか入らないかの小さな子どもさんが3,4人いました。したがって、今度の裁判で有罪となり、執行猶予がつかなくて、実刑ということになれば、前に判決を受けた執行猶予の判決は取り消され、今回言い渡される懲役刑と取り消される前に言い渡された判決の懲役刑と合わせて、刑務所に行かなくてはならなくなります。

 刑法26条は、「執行猶予の期間中に更に罪を犯し禁固以上の刑に処せられ、その刑について執行猶予に言い渡しがないとき」には、前に言い渡された執行猶予の判決が取り消されなければならないと定めています。前に言い渡された懲役刑が仮に1年6月とすると、今回言い渡される懲役刑が1年だとしても、合わせて2年6月もの長い期間、刑務所にいかなければならなくなります。それでは、Aさんの家庭は崩壊します。子どもの生活も教育もできなくなります。

 裁判の日、Aさんは、妻と子どもを一緒に裁判所に連れてきていました。小さな子どもが法廷内を無心で走り回っていました。

 どう考えても、Aさんへの実刑を避け、刑務所に行くのを避けなければなりません。

 審理が終わり(結審と言います。)、検察官の論告、弁護人である私の弁論となりました。

 前に、執行猶予の判決をもらっていたとしても、情状により再度の執行猶予ができると刑法が定めています。刑法25条2項本文には、「前に禁固以上の刑に処せられたことがあったとしても執行の猶予を猶予された者が1年以下の懲役又は禁固の言い渡しを受け、情状特に酌量すべき者であるときは、前項と同じである。」とに規定がそうです。弁護人の私は、Aさんの家族関係を指摘し、再度の執行猶予を求めるとの弁論を始めました。

 すると、裁判官が(その名前は今でも忘れません。水谷富茂人さんです。)、「弁護人!」「この事件は、被告人のいうよう、購入した鶏が病気であった可能性があるので、弁論の再開したい。」と言い出しました。この発言を聞き、ハッと、Aさんには再度の執行猶予を言い渡すことができる余地がない事案であることに気がつきました。これを説明します。

 刑法25条2項には、前に述べた本文に続いて、但し書きがあるのです。その但し書きには、「ただし、次条第1項の規定により保護観察に付せられ、その期間内に更に罪を犯した者については、この限りではない。」と定めています。私は、Aさんの刑事記録をチェックし、前刑が執行猶予であったことの記憶は残っていたのですが、その執行猶予が保護観察に付せられていることについては記憶が亡失していたのです(弁解ですが、保護観察という文字は、執行猶予という文字に比べてとても小さな文字で書いてあるのです。きちんと意識してチェックしていないと見落とします。)。その亡失していた記憶が、水谷裁判官の、「弁護人!」「この事件は、被告人のいうよう、購入した鶏が病気であった可能性があるので、弁論の再開したい。」という発言により、私の頭に、この事件は再度の執行猶予の余地はない事案だと、にわかにそしてありありと蘇えったのです。

※執行猶予には2つあり、単純な執行猶予の外に、保護観察に付せられるものがあります。保護観察が付せられると、定期的に保護観察所に出頭しなければならなくなります。

 この事件で、Aさんを刑務所に行くのを阻止するためには、無罪をとるのか、それができないときときには、前の判決の執行猶予の期間を過ぎるまで,裁判を引き延ばしてその段階で執行猶予の判決を獲得するしか途はなかったのです。だから、弁護人としては、「この事件は無罪です。」と無罪を主張して、検察官が提出する証拠を全部不同意にして、被害者の全てを法廷に呼びだした証人尋問をするなどして、「引き伸ばし」、無罪が取れないとしても、少なくとも前刑の執行猶予期間をパス、経過させなけばならなかったのです。

 水谷裁判官は、おもむろに検察官に対し(その検察官は女性でした)、「検察官!。この事件は、被告人が買い受けた鶏は被告人のいうとおり病気になっていた可能性があります。被害者の各農家に再度事情聴取をして、調書を作成して、証拠申請して下さい。」と指示しました。このときには、この法廷にいる裁判官、検察官、そして弁護人である私のすべてには、この事件は、裁判を長引かせて、前の執行猶予の期間を経過させなければ(そうすれば、再度の執行猶予の判決が法律上可能となります。)、Aさんの刑務所行きは阻止できないとの共通認識ができあがっていました。検察官は、即座に「分かりました。再度補充捜査をします。」「被害者の複数の農家に再度事情聴取をします。暫く、時間を頂きたい。」と返答し、その日の裁判は閉廷となりました。

 その後は、全て予定どおりでした。

 検察官が、複数の農家から事情聴取をして調書を作成し、これらを証拠として申請しました。弁護人である私は、その証拠をそのまま証拠とすることに異議を唱えました。すると、裁判官は、複数の農家の人を被害者として証人申請し証人調べの手続となりました。証人調べは、1,2ヶ月に1回にペースで進められ、何とか、前刑の執行猶予の期間を過ぎさせることができました。

 全て関係者の暗黙の打合せどおりでした。

 そこで、検察官の有罪の論告と弁護人のである私の弁論がなされました。私は無罪とそれが通らないときは、Aさんの家庭状況に照らして執行猶予にされたいとの弁論をしました。

 判決が出ました。有罪でしたが、執行猶予に判決がされ、Aさんは刑務所に行くことを免れました。ただ、執行猶予の期間は法律に定める最長に期間である5年で、甘いものではないと思い知らされました。

 この事件は、私が刑事記録のチェックのさい、保護観察中の執行猶予であることを見落としたために、私が犯した失態でしたが、裁判官と検察官の広い心に救われたもので、一生その恩義を忘れることができません(女性検察官の名前は思いだしません、その検察官が、「分かりました。再度補充捜査をします。」と立って仰っていた姿ははっきり記憶に残っています。)。

名古屋弁護士 伊神喜弘

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